小学校 道徳教科書の光文書院 ゆたかな心(小学校)の教材、「誠実な人―吉田松陰―(光文書院6年 p.72)」の内容です。

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誠実な人―吉田松陰―(光文書院6年 p.72)

内容項目 主として自分自身に関すること
正直、誠実
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1.本教材について ▼本教材は、幕末の尊皇攘夷の思想家として知られる吉田松陰を学ぶ偉人伝である。アメリカへの密航 を企て失敗したが、「自分のしたことをごまかしたくない」と自ら名乗り出た松陰の「誠実さ」を強調 し、“英雄”として情緒的に印象づける。しかし、このときの経過を松陰自身が後に記録した『回顧録』 (奈良本辰也著『吉田松陰著作選』講談社学術文庫、p.284)によると、「計画に失敗し、狼狽(ろう ばい)のあまり柿崎村の名主の家に自首して出た。ことの次第を述べ、善処を申し出た」とあるだけで、教科書に書いてあるような事実はまったく記されていない。光文書院にこの教材の典拠となったものは何かと問い合わせたが、古い教材なのでもうわからないとのことで、創作の可能性が高い。なお、典拠を探しても見つからない場合は、すみやかに削除し、他と差し替えるべき教材と思われる。また教科書には、松陰が老中・間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を企てて処刑されたことや、アジア侵略を積極的に主張していた人物であったことにはまったく触れていない。
▼松陰は「安政の大獄」に連座して逮捕されたとき、老中・間部詮勝の暗殺を企てていたことを自ら告白し、そのことによって処刑された。「自分のしたことをごまかしたくない」ことを「誠実さ」の証しととらえるなら、これも「誠実さ」の証しになるのかもしれないが、松陰が間部暗殺計画を告白したのはすでにばれていると思いこみ、それなら自らの正当性を積極的に主張した方が得だと判断したからにほかならない。単なる正直さからではなく、幕府側との政治的駆け引き(打算)でもあったのである。また、ばれてなかったとわかった時点では、「暗殺ではなく、言葉で諫(いさ)めようとした」と、言い換えて罪を軽くしようとごまかしてもいるので、松陰を「誠実な人」として子どもたちの人格的なお手本にさせようとするのは、とうてい無理がある。  [資料1参照]
▼松陰を長州藩の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた人物として、歴史学習で教えるならともかく、子どもたちが見習うべき生き方のお手本として美化し、道徳の教科書で取り上げるのは不適切である。 しかし、現に道徳教科書で取り上げられているので、教科書には書かれていない松陰の主張を紹介し、 松陰の別の一面、松陰が果たした歴史的役割も考えさせたい。  [資料2参照]
▼松陰の一連の行動は幕末の激動期において、日本をヨーロッパ列強に負けない強国にしたいという情熱から出ていたといえる。しかしそれはヨーロッパ列強をまねて、周辺諸国を乗っ取る(植民地にする)ことを通じて成し遂げようとしたものであった。他国およびその国民を犠牲にすることをいとわない人物を、果たして道徳的に「誠実な人」といえるだろうか。松陰の弟子たちが後に日清戦争や日露戦争を主導したことを伝え、この教材から松陰を「誠実な人」と美化することだけを学ぶことのないようにしたい。
2.本教材を扱う際に、特に注意すべきだと考えたこと ▼実在の人物を「偉人」として、道徳の見本として教えることはむずかしい。なぜなら人間は長所もあれば短所もあり、様々な側面を持つからである。また立派な行いと見られることも、別の立場から見ればそうとは言えないということもある。実在の人物は漫画のスーパーヒーローとは違うことを伝えたい。
▼この教材は歴史上の人物を扱っているので、歴史学習の後で取り上げるのが良い。しかし、この教材は道徳教材としてそもそも不適切であるし、根拠もないことが明白となれば、授業では扱わないことも考えられる。
指導案と参考資料はPDFをご覧ください。
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