小学校 道徳教科書の光村図書 きみがいちばんひかるとき(小学校)の教材、「ぼくの名前呼んで」の内容です。

小学校 道徳教科書

光村図書 きみがいちばんひかるとき

ぼくの名前呼んで

内容項目 主として集団や社会との関わりに関すること
家族愛、公平、公正、社会正義
光村6年_ページ_001
1.本教材について
教材名「ぼくの名前呼んで」(光村小学校6年p.122「家族愛」)
▼本教材は、「家族に対する思い」、つまり「家族愛、家庭生活の充実」という内容項目に位置づけられている。様々な家族がいるという例としては良いと思うが、本教材には「聴覚障がい者」の置かれている社会的状況を考えさせる素材でもある。そこで、「社会的公正、正義」の内容項目とも関連させて授業を行いたい。
▼太郎君は正義感の強い子どものようだ。軽い脳性まひでせりふがうまく言えない「ブヤちゃん」をからかった者と取っ組み合いのけんかになった。その太郎が「おまえ、父ちゃん、母ちゃんから一度も名前を呼ばれたことがないんだろう」と、クラスメイトにからかわれて「息をのんだ」。そして「体が動かなくなってしまった。」それはなぜだろう。そして「無我夢中で我が家に向かって走った」、そのうえ、家にいた父親に怒りをぶつけた。太郎が大きな怒りを感じたのはなぜかと考えることから、聴覚障がい者が受けている差別と生きづらさを考えていきたい。
▼聴覚障がい者に対する差別について、どのようなことが差別に当たるかを考えてみよう。私たちの多くは「聞こえる」人たちなので、聞こえることを当たり前に考えて行動している。そのために、社会のありようも、聴覚障がい者のことを考えていないことが多い。
▼「聴覚障がい者」のコミュニケーション手段で最も重要なものは手話である。日本ろうあ連盟の「手話言語に関する見解」(https://www.jfd.or.jp/2018/06/19/pid17838)も参照して手話について授業の中で取り上げたい。簡単な手話を紹介できれば良いと思う。また、ほかに口話法や筆談などもコミュニケーション手段として使われている。そうしたことも紹介したい。 
▼生まれつき、あるいは幼少期に聴覚を失った者は発語にも障害を抱える。人は、まわりの大人の言うことを口まねしたり、耳で聞いて口の形を目でおぼえるが、聞こえないとそれができないからである。太郎の両親も耳が聞こえないことから発語にも障害があると思われる。しかし、「聴覚障がい者」も声を出すことがある。それはそれほど珍しいことではない。「聴覚障がい者」の出す声は聴者にとっては聞きなれない声なので、“あれ?”と反応したり、聞いてはいけないものを聞いてしまった、と思ったり、触れてはいけないものに触れたような気がして痛々しい感じを抱いてしまったりする。だが、「聴覚障がい者」にとってはそういう聴者の気持ちとは全く違った感じだという。声を出すので、気持ちよいと思ったり、聴者が違和感を持っているかもしれないとは思っても聞こえないので、ほおっておくしかない、と思ったりするという。
▼聴覚障がい者を親に持つ子どもにとって親の声は人によっていろいろだが、なつかしい、温かい感じを持つ場合もあるという。子どもが自分の親の声をまねすることもあるという。聴者にとって聴覚障がい者の声をまねすることはタブーだが、子どもにとっては必ずしもそうではないらしい(参考文献「コーダの世界」、参考資料3)。
2.本教材を扱う際に、特に注意すべきこと ▼“感動的な物語”にしないことが肝要である。「聞こえない人」について「知る」ことを目的としたい。
参考資料 参考資料1 「コーダ」について 聴覚障がいの親を持つ、聞こえる子どもは「コーダ」(Chidren Of Deaf Adults)と呼ばれる。教材に登場する子どもは「コーダ」である。1980年代にアメリカで作られた言葉である。日本でコーダの人たちが集まって「コーダの会」をつくったのは1995年。その後現在まで少しづつ増えている。コーダの会ではコーダでなくてはわかりにくい悩みなどを共有したり、自分と同じ悩みを持つ者がいることで安心したりとコーダにとっては大事な役割を果たしている。教材の太郎の怒りの背景にもこのコーダ特有の悩みがあると考えられる。
参考資料2 「コーダ」の声「コーダの世界」(渋谷智子)より 参考文献の「コーダの世界」はコーダやコーダの母親などへのインタビュー調査などに基づいて書かれており、教材理解の参考になると思われるので、以下にいくつかのコーダの声を紹介する。
▼自分で「私って変かも」と思っていたことが「コーダだから」だとわかり、自分を好きになれた。自信が持てるようになった。
▼(まわりの大人から「大変ね」「かわいそう」「あなたがんばるのよ」などと言われる)が「余計なお世話。両親がろうということにあまり大変さは感じていなかったけどそういうふうに言われることに嫌悪感を感じていた。」「父や母が社会的に弱い立場の人間だと言われているようでなんだか悲しかった」
▼「手話を外で使うと、子どもから大人まで、みんな私たちをじっと見ていました。あの目を私は一生忘れない。上目遣いで様子をうかがうような目・・・・・。私の記憶の中の大人たちは『冷たかった』イメージしか残っていません。中略 とにかくじーっと変なものでも見るかのように見られる。そのことがたまらなく嫌でした。」
参考資料3 コーダの声その2「耳の聴こえない親と子どもの関係が歪んでしまう本当の理由。CODAが直面する2つの世界」(五十嵐大 ハフポスト2019/6/26配信)より 小学生の頃、クラスメイトから言われた言葉でいまでも忘れられないものがある。「お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」後天性の障害である父とは異なり、母は生まれつき音を知らない。そのため、言葉をうまく発声できないのだ。けれど、ぼくが友人を家に招くと、母は笑顔で「よく来たね」と対応する。ただし、この「よく来たね」は、「おういあね」とくぐもった言葉となってその場に響く。なにも知らない子どもにとってみれば、「おかしい喋り方」に聴こえるのも無理はない。ぼくはそれが恥ずかしかった。その感情はやがて怒りや嫌悪となって、胸の内を暴れまわった。どうして、ぼくの両親は“ふつう”じゃないんだろう。どうして、母は“ふつう”に喋れないんだろう。どうして、ぼくは“ふつう”じゃない家に生まれてしまったのだろう。もう二度と、友人の前で喋らないで。授業参観にも運動会にも来ないで。ぼくと一緒に外を歩かないで。
参考資料4 「コーダ研究に携わるコーダが、全国のコーダと、そのお父さまやお母さまに向けて作成したものです」というホームページがある。 URLhttps://marblemammy.wixsite.com/coda-and-parent
指導案はPDFをご覧ください。ダウンロードできます。
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