中学校 道徳教科書の光村図書 きみがいちばんひかるとき(中学校)の教材、「「私の話を聞いてね」」の内容です。

中学校 道徳教科書

光村図書 きみがいちばんひかるとき

「私の話を聞いてね」

内容項目 「主として人との関わりに関すること」
「相互理解、寛容」
光村図書 中道徳1年-1
1.本教材について
資料名 
「私の話を聞いてね」(光村図書中学1年p.36 「相互理解、寛容」)
▼本教材は、生まれつき右手の指がない少女の、インターネットへの投稿に関する教材である。
▼主人公の心情理解に偏ったり、最初から結論がはっきりした読み物教材と異なり、多くのことを考えることのできる良い教材である。
▼「相互理解、寛容」という視点と同時に、「公正、公平、社会正義」という視点も併せて考えたい。
▼まず、ペイジさんが自らの姿を公開し、自分の考えを示そうとしたことに注目したい。皆が違っていることを前提に、自分の考えを表明することはわかりあうことの第一歩である。
▼ペイジさんは「個人または集団を一方的に攻撃したり、批判したり、おとしめたりするコメント」(本教材p.42)が大量に流れている現状だからこそ、自らの姿を公開し、自分の考えを示そうと投稿したという。
▼ペイジさんの、写真共有サイトへの投稿には、以下のようなメッセージがある。
▼ペイジさんには、うまれつき右手の指がないが、皆ができることは全部できること。
▼ペイジさんにとって、「右手の指がないこと」は髪の毛の色と同じで、それぞれが生まれつき違うことの一つに過ぎないこと。「違い」は悪いことでもマイナスでもない。
▼ペイジさんの「違い」についていろいろと尋ねる子供を、叱らないでほしい。叱ると「違っていること」はまるで悪いもの、見下されるべきもの、になってしまうから。
▼授業ではペイジさんのメッセージを受け止めながら、様々な「違い」について考えたい。
2 本教材を扱う際、特に注意すべきこと ▼ペイジさんがインターネットに投稿したのは、伝えたい、具体的で明確なメッセージ(考え)があったからである。授業ではペイジさんが提起した問題を生徒とともに考えたい。
▼例えばLGBTを感覚的に受け入れられないという授業者がいるかもしれない。そういう場合には、無理に受け入れられるふりをしないで、生徒とともに考えていきたい。 
▼中には大変重い課題もあるので、可能ならば時間をかけて取り組みたい。
▼時間があれば、様々な障害や「違い」についても調べる機会ができるとよい。
参考資料 他の人とは「違う」人とどう接しているか ▼「見た目問題」について 「見た目問題」の画像 https://withnews.jp/article/f0191122002qq000000000000000W06810101qq000020100A 朝日新聞は2020年1月に「見た目問題に向き合う」という連載をしている。 見た目が他の人と違う人は他の人の「視線」に苦しんでいる。
▼吃音に関する記事 2019年3月19日毎日新聞大阪夕刊より 人口の1%程度に吃音の傾向があるとされる。原因は解明されておらず、対応する医療機関も少い。 「毎日新聞と当事者団体が2016年に実施した全国アンケートによると、回答者80人のうち50人が『吃音が原因で、学校や職場でいじめや差別を受けた』と答えた。」という。 https://mainichi.jp/articles/20190318/ddf/041/040/018000c 
▼性同一障害で乗務を禁じられたタクシー運転手のケース 毎日新聞3月13日夕刊によれば、大阪のタクシー運転手が、性同一障害を理由に乗務を禁じられたとして提訴した(慰謝料請求訴訟)。運転手によれば上司らから「気持ち悪い」などと言われ、うつ状態になったと主張している。
▼障害を抱えながら「お笑い芸人」をやっているホーキング青山さん 
「世間では障碍(がい)者がそばにいないからどんなヤツかわからない。わからないから想像するしかなく、とりあえず身体に欠陥があり動かないんだから『大変なんだろう』『ツラいんだろう』『苦しいんだろう』という少ない判断材料で想像する。想像したものをトータルして『カワイそう』というイメージに結びつけてしまう。だから、『カワイそう』=『自分より劣っている』で、差別が生まれる。障碍者は、どんなにバリアフリーだ、ノーマライゼーションだと言われるようになってもこの意識があるから弱者なのだ(ホー キング青山「差別をしよう14歳の世渡り術」河出書房新社2009年 ホーキング青山さんは、先天性多発性関節拘縮症のため、生まれた時から両手両足が使えない)。」
▼重い身体障害を抱える、れいわ新選組の木村英子さんへのインタビューより(2020年3月10日朝日新聞記事「やまゆり園事件判決を前に」)  23歳で結婚し、息子を出産しました。不安だったのは、子どもをかわいいと思えるかでした。母に抱かれた記憶があまりない私は、母に対する愛情が持てなかった。でも出産した時は、子どもへのいとおしさがこみあげました。公園デビューをしたときのことです。息子と子どもたちが砂場で遊んでいるのを、車いすに乗った私が近くで見ていました。私が母親だとわかった瞬間、周りのお母さん方が自分の子どもを抱き上げて帰ってしまった。私と関わると厄介なことになるといった意識が働くのでしょう。
指導案はPDFをご覧ください。ダウンロードできます。
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